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ベリカード
BCL の楽しみ方って、まぁ人それぞれなワケですが、傾向としては前にも書きましたように 「受信しにくい局を捕まえよう」 という探求型と 「キレイなベリカードをもらおう」 という悦楽型(笑)のふたつに分かれると思うんですネ。

この 「ベリカード」 ですが、正式には  Verification Card  つまりは 「受信証明書」 といったモノです。

リスナーが番組を聴いて、受信した日時や番組内容、受信状態、感想などを記した 「受信報告書」 を送ると、放送局からは 「確かにアナタはウチの番組を受信しましたヨ」 という内容の証明書をくれます。

これが凝ったデザインだったり、キレイな写真を使っていたりしてまして、なかなかコレクター魂をくすぐる、というか(笑)



「そんな証明書なんてもらってもしょーがないじゃん」



という声も聞こえてきそうですが、さにあらず。

なかなか受信できない局を受信したって、客観的な証明がないでしょ?

「逃した魚は大きい」

的な言い方は、いろんなところでありますけど、

「×◎国の×◎国営放送をキャッチしたゼ!」

っつったって、その 「魚拓」 が必要なワケですヨ。

録音する、という手もありそうですが、どうも今ひとつ説得力に欠けるような気がするんで、やっぱりその放送局自身が発行した 「受信証明」 が必要になるんですネ。



中にはなかなかカードを発行してくれない局もあり、特に中国のローカル局なんてほとんど発行してくれません。苦労して受信報告書を送ってもなしのつぶてで、それでもカードが来た日にゃぁ もう天にも昇ろうってなモンです(笑)



BCL が空前のブームとなった 1970 年代の終わり頃から 80 年代にかけて。

カードほしさに偽の報告書を送ったりとか、返信用の切手や封筒なども同封せず、ヒドイのになると電報まがいに 「カードオクレ」 と一言だけ言ってくる連中もいたようです。

そうした風潮に以前からから BCL をやってきた先達は反発し、 「 BCL の楽しみはカード集めだけではない」 と声を大にして発言していました。

結果的にそれが日本の BCL のレベルをあげることにもなり、またブームだけに乗っかってきた連中を淘汰することにもつながったのではないかと思います。

もちろんオレもそれで淘汰されたクチですとも(笑)



それはともかく。

こんなコトを書いていたら、昔苦労して集めたカードが見たくてたまらなくなり、収納庫に使っている屋根裏部屋にあがりました。

たぶんこんなんは一番奥の方に追いやられているに決まってるんで、奥からガサガサ探し始め…

アッタ…

やっぱり奥の方だった(笑)

しかし…

ファイルが 2 冊しか見つかりません…

おっかしいなぁ… もっと 10 冊ぐらいあったハズなんだけどナァ〜…

何回か引っ越しもしてるんで、もしかしたらどっかに紛れ込んでしまったか、はたまたゴミと間違えられ捨てられたか…(泣)



でまぁ せっかく見つかった 2 冊があるので、いくつかそこからピックアップしてみるっす。




こんな感じでファイリングしてました。日付を見ると 1981 年 9 月になってます。
って、オレ 18 ん時じゃん(笑)




大好きだった北京放送局。中国伝統の切り絵をモチーフにしてます。1981 年 6 月 28 日受領。




当時、中華人民共和国とは敵対関係にあった中華民国、つまり 「台湾」 にも日本語放送がありました。その名も 「自由中国之声」。受信報告書を送るともちろんカードも送られてきましたが、時にはこんな小冊子も同封されてました。中身を見ると、自由主義中国の宣伝と大陸、つまり共産政権下の中国の非難に終始してます。時代を感じさせます。1982 年 1 月 5 日受領。




Voice of VietNam  ベトナムの声放送局。たどたどしい日本語は今も覚えてます。しかし一生懸命さが伝わってくる番組でした。




村の小学校でしょうかネ。決してきれいな印刷ではありません。しかしベトナム戦争が終結したのが 1975 年。このカードをもらったのが 1981 年ですから、戦後わずか 6 年しかたってないんですよネ。長かった代理/分裂戦争に終止符を打ち、祖国建設に燃えるベトナムを応援したもんです。




使われる封筒もこのようなものでした。やっぱり全体的に物資は不足してたんでしょうね。今はさすがに違うんだろうなぁ…




隣国のラジオ韓国です。この局は聞いていて楽しい番組が多かったですが、あまり報告書は送らなかった。やはり、こっちの方が圧倒的に多かった…




お待たせ(笑) 北朝鮮の朝鮮中央放送です。18 才だったワタシの日常とはあまりにかけ離れた世界に、戸惑いながらも大いに興味を覚えました。




封筒もこんなんです。よく見ると、切手も何も貼ってないんですよネ。よくこれで届いたナァ…(笑) けっこう大きめな封筒なんで、恐らく金日成礼賛の本が入っていたんでしょうが、たくさんもらったはずの本が見あたらない。また明日捜索にチャレンジする予定(笑)



当時、実家がマンションだったんでロクなアンテナも張れず、高さ 6m 長さ 10m の逆 L 字アンテナとバーチカルアンテナでやってたんで、感度はあまり良くなかった。

またちょうどマンションの影になってしまい、北西方面は開けているものの、南東方面はまるでダメ。

しかし短波放送の場合、地上と電離層をぶつかって伝搬する間も減衰がそんなにひどくないので、反対方面から受信できるんですよネ。

そんなんで受信したのがコレ。




ラジオオーストラリアです。外国の日本語放送の中では常に人気 No.1 の局で、確か大橋さんという女性アナウンサーが BCL のアイドル的存在でした。何かの受信機の広告にも登場してたような記憶もありますが…




西ドイツのドイッチェ・ベレ。すごくモダンなデザインのカードですよネ。雑誌で紹介されるドイッチェ・ベレのカードは常にコレで、どうしてもこのカードが欲しくて何回も報告書を送って、やっともらったカードです。




数ある日本語放送の中でも、もっとも心ひかれた放送局が南米はエクアドルの「アンデスの声」でした。尾崎さんというキリスト教の牧師夫妻が手作りでやっていた日本語放送で、当時のワタシのアンテナ環境では受信が難しかったです。いろいろと工夫してやっと受信でき、初めてもらったカードがこれです。



とりあえず今日みつけた 2 冊のファイルの中からピックアップしてみました。

実はまだまだファイルはあったはずで、アメリカの KGEI やチェジュ島から送信されていた HLDA 、イギリスの BBC なんかもたくさんあったんだけどナァ…



もしまた BCL を再開するとしたら、もう日本語放送はいいやって思うんで、今度はテーマを決めてやってみたいですネ。

さしずめ中国の国内局制覇とか。

とりあえず放送聞いて、報告書が送れる程度わかるのは中国語しかないし、英語はさっぱりわからんし…  ヽ(^^; 添乗員ダロ

あとは非合法でやっている地下局かな…

これも中国語で面白い局があるんですよネ。

「火花台(Radio Spark)」 とか 「十月風暴」 「八一電台」 とかネ。

中でも 「偽中央人民放送」 が白眉で。

中国の国営放送である 「中央人民放送」 を録音して、そのまま送信してるんだけど、論評の時だけニセモノにすり替える、現政権を攻撃する内容であったりとか、どこそこで反政府クーデターが発生、国家の指導幹部が関与していた、とか、そんなんらしいです。

これは実際にどんなコト言ってるのか、ぜひ聞いてみたいですけど…



受信機買って、アンテナ買って、それを建てて…

カネも時間もないアル…(泣)
| BCL | 00:30 | comments(7) | trackbacks(0) |
受信機
国内外を問わず、放送を聞こうと思ったら当然 「受信機」 が必要なワケで、最初に聞いた外国語放送は親父のお古のポータブルラジオで。

それから当時まだ存命であったおじいちゃんにねだって買ってもらった、ナショナルのクーガ 115 というのを愛用してました。

これはクリスタル発振子を挿すジャックがあり、どうしても受信できなかった 「アンデスの声」 を聞くために、 9750kHz(←まだ周波数覚えてるし・笑)のクリスタルを買ってきて挿してみたりもしました。

しかしいくらそんなコトをしても、アンテナが貧弱では聞こえるものも聞こえず、全神経を耳に集中しても聞こえてくるのは雑音だけ。

そんな悔しい思いが次の 「アンテナ」 につながってきたりもします。



当時は周波数をデジタル表示する受信機なんてのはなく、あっても非常に高価でとても中学生ごときに手が出るシロモノではなく、そのためチューニングダイヤルを髪の毛一本ほどの微妙な幅で動かしたりしてました。

この 「髪の毛一本」 というわずかな幅に、実にいろいろな 「音」 がひしめきあってたんですよネ。

何度も往復してると、次々と聞こえてくる放送や雑音の順番を覚えてしまったりしました。

何か知らん局の英語放送
 ↓
雑音
 ↓
ジャミング(敵国の放送にかぶせる妨害電波)
 ↓
中国の中央人民放送
 ↓
怪しげなモールス信号

みたいに(笑)



そんなワタシの心を熱く揺り動かした受信機がありました。

ひとつは TRIO(現・KENWOOD)の R300 。

ダイヤルがふたつもあって、いろいろとツマミもついてて 「何だかスゴイ」 と(笑)


もうひとつはドレークの SSR-1 ですネ。

これは黒一色の R300 とは対照的にメタリックあるいは白で統一されており、受信機というよりは 「高級ステレオ」 というイメージでした。

そのシンプルな外観からはバーニャダイヤルをつけた真空管受信機が想像され(笑)、

「コレで JJY を聞いて、方眼紙で周波数とダイヤルの相関グラフを作らねばならんのだろうか」

とまったく的違いの想像をしてたりもしました(爆)


そして最も魂をゆさぶられた受信機。

八重洲無線(現・バーテックススタンダード)の  FRG-7  です。



(写真提供:ラジオ工房様)



コイツにはあこがれた。

もう心の底から憧れました。

当時の金額で 59,000 円という、中学生にはほとんど無理のような金額でしたが家庭内アルバイトに精を出し、お年玉を貯め、両親からも援助をもらい、やっと買った時の感動というか達成感、充実感は忘れられません。

見ての通り、 「ラジオ」 とは一線を画すシロモノで、見るからに 「無線機」 という感じです。

これに MIZUHO のマーカーやアンテナカップラ、プリセレクタをつなぎ、もうそれこそ夕飯もそこそこにかじりついてました。

前に使っていたクーガ 115 もかなりいい機械だったのですが、 115 では 20kHz 程度で判別不能となっていたマーカーの発信音も、 FRG-7 ではキレイに分離してくれました(ような記憶があります・笑)



土曜日の夜。

寝静まった家の中で、自室の灯りを消し、 Z ライト(←これもなつかしいケド・笑)だけを点けて FRG-7 のチューニングダイヤルを髪の毛一本ほどの幅でまわしていく。

ヘッドフォンからは次々と各国の放送や雑音、ジャミング、モールス信号などが聞こえてくる。

お目当ての中国のローカル局が受信できた。

しゃべっている内容はさっぱりわからないが、やがて中国民謡風の音楽がかかる。

カーテンをあけて夜の街を見てみる。

まだ見ぬ中国の、雪深い山中の灯りが見えた。

貧しい灯りの下、厳しい農作業を終えた農民たちもこの音楽を聴いて一日の疲れを癒しているのだろうか。

おじいちゃんが孫を膝に乗せて聞いているのかも知れない。

あるいは仲間たちと酒を飲みながら聞いている青年たちもいるかも知れない。



当時中学生だったワタシは、こんな夜にはるばる中国から伝わってきた音楽を耳にし、こんなコトを想像していたんですネ(笑)

この FRG-7 のダイヤルって、全部オレンジ色で、電源を入れるとオレンジの光が黒いダイヤルバックにすごく映えます。

そんなコトも、世の中の世知辛さを知らない中学生に、こんな甘っちょろいイメージをふくらませる遠因になったのかも知れません(笑)



一度、恐る恐る中を開けてみたことがあります。

意外に中身はがらがらでした。

もっと、すごい、こう… 何て言うか… いわゆる 「メカ!」 ってのがたくさんつまってるかと思ったのですが、意外とすっきり(笑)

もちろん当時の最新技術が投入された受信機には違いないのですが、ちょっと気が抜けたりもしました。

それですっかり気がでかくなった愚かなワタシは、無謀にも周波数がプリントされたダイヤルをぐりぐりまわしたりもして、んなことすりゃぁ 当然にして表示される周波数と実際の周波数では大きな狂いが出ちまうワケで、あとからエライ苦労しました(笑)



随分と入れ込んだ FRG-7 ですが、いつしか机の置物となり、ブックエンドのかわりとなり、そして廃品回収に出してしまいました。

「あとの後悔先に立たず」 とはよく言ったもんで、まさしく後悔しまくったワケですが、この廃品回収のにいちゃんがたまたまこうした機械類が大好きな人で、 「これは商売抜きで自分で買い取りたい」 と言って、幾ばくかの代金を渡された覚えがあります。

ワタシの手元を離れても、こうしてまた好きな人のところに行くコトができたワケで、これはこれでよかったのではないかと、今ではそのように思ってます。
| BCL | 11:50 | comments(6) | trackbacks(0) |
BCL
この前、何となく WEB を見ていたらふと眼についたサイトがありました。

「BCL」

知ってる人は知ってるけど、知らない人はゼンゼン知らないという(笑)

BCL とは Broad Casting Listner の略で、つまりいろいろな国の放送を聞いて楽しみましょう、という自閉的趣味(笑)であります。

この趣味にもいくつか傾向がありまして、

 ・日本では受信が難しい海外の放送局を何とかして受信してみよう
 ・受信報告書を送って、そのお礼にもらえるベリカードを集めよう

このふたつが主流だったように思います。



ワタシが中学生ぐらいの時ですわ、流行りだしたの。

ある日ラジオを聴いていたら、ゼンゼン知らないことばが流れてきて興味を持ったという、非常にありがちなシチュエーションだったワケですが、単純に 「へぇー」 とかって思いまして、それから AM ラジオの端から端まで聞いてみたという。

そしたらいろいろな国の放送が入ることを知り、昼間よりも夜の方が感度が良くなるコトや AM ラジオ(中波)ではそんなに遠距離までは電波が届かない、せぇぜぇ近隣諸国の放送ぐらいだ、と知ったのもこのころでした。

同時期に 「短波」 という BCL の専門誌も発刊され、 DXer と呼ばれる先達たちの存在も知りました。

 「DX」とは遠方を示す Distant と未知なるものを示す X をかけあわせた造語で、これに er で、「遠くにある未知の放送局を探索する人」ということっすかネ(笑)




もうスゴイんです。

この DXer の方々。


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○▼□放送局 〜時からの◆△語番組 第 2 放送
9735kHz および 9820kHz で受信できていたが、 9820kHz は 7215kHz に移行した模様
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とか

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●△国の反体制放送 「ラジオ◇▽」 の所在地は●△国北方の■◎△国との国境地帯にある模様
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みたいな、「いったいどうやって…」 的な情報がいっぱいです(笑)



ワタシの場合、このように 「探求」 していく方向には走らず(走れず?・笑)、もっぱら後者の方、つまり受信報告書、なるものを書いて送って、放送局がそのお礼として送ってくれる 「ベリカード」 というものを集める、って方に向かっていきました ヾ(^^;安直ダネ

もちろん外国語放送なんて聞いてわかるワケもないんで、もっぱら日本語放送だけでしたケド、特に好きだったのは中国の「北京放送局」や北朝鮮の「朝鮮中央放送」、エクアドルの「アンデスの声」とか。

毎日のように放送を聞いてはせっせと報告書を送っていたので、 1 ヶ月もするころには毎日のようにいろんな国からいろんなモノが届くようになりました(笑)

北朝鮮の 「朝鮮中央放送」 が好きだったのは、別にワタシャ細胞でもなければシンパでもない、金日成信仰者でももちろんないワケで、ただあまりにも度を超した金日成主席礼賛がおもしろくて、ココだけの話し ヾ(^^;ネットデ 「ここだけの話し」 ナンテアリマセンヨ 心にもない賛辞なんかも書いて送ったりしました。

そのおかげか、かの国からは毎月書籍が来、年末にはカレンダーが来、オマケに 「友好者リスト」 のようなモノにも登録され、コード No.までもらってしまったという(笑)

ウチの父親なんぞは、北朝鮮から息子宛にあまりに多くのモノが送られてくるので、非常に心配したそうです(爆)

そうした成果物は、今でも自宅屋根裏の段ボールに入れてあり、これだけで一大コレクションができるような気がします(笑)



というワケで、しばらくほったらかしだったブログですが、新カテゴリー登場でございます(笑) ヾ(^^;「プラモデル」ハ、ドーナッタンダヨ
| BCL | 18:23 | comments(8) | trackbacks(0) |
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